法性山蓮生寺は、数回の火災で寺宝や資料がほとんど消失しているため、風土記などの記述によりますと、日蓮宗見延山久遠寺の末寺として永禄2年(1558)年に開山されました。
当時の寺号(寺の名前)は定かではありません。蓮生寺の名が知られるようになったのは、文禄元年(1592年)、青砥の領主・勝部尚正が父の菩提寺として中興し、「蓮生寺」としてからです。現在の本堂は、平成3年に新築された物です。
境内には横浜市の名木に指定されている大銀杏があり、かつて修身の教科書にも載っていた「川に金十文を落とし、五十文を費やしてこれを捜した」話で知られる青砥藤綱の墓も残されている名刹です。
|